「故郷の味を大切な人と」
まーゆ
くつくつ、くつくつ、くつくつくつ──。
目の前の鍋が煮えて弾ける気泡の音と、ふわりと舞い上がる日本酒香る湯気。
色が変わった具材達がぷるぷる震える様子を見つつ、自宅のキッチンにて私は仁王立ち。
「よしっ」
IHコンロのスイッチをオフ。私はすかさずミトンを両手にはめて鍋を掴み、テーブルに置いてある卓上型のIHコンロの上に鍋を置いた。
「うん。位置的にはオッケーかしら?」
片目を閉じて、気分はさながら一ミリもズレを許さない職人の様。
独り言では無く、仕事相手──では無く。向かいに居る恋人歌織ちゃんに話し掛ける。
「ええ、バッチリ。中心になっているわ」
「ふふっ……ならオッケーね。さっ、食べてしまいましょう」
手を合わせて日本人特有のいただきますのポーズをし、合わさった「「いただきます」」の声に笑みを浮かべ、先ずは彼女の器に具材をよそった。
「ありがとう」
「いえいえ。私も食べよっと」
同じ様に煮詰まった具材達を掬い、自分の器によそう。
「塩胡椒で食べるなんて初めてかも」
彼女がよそったものと手元にある塩胡椒の瓶を交互に見ながら一言。
「そう?…っと思ったけど。まぁ、大体はポン酢とかごまだれだしねー」
彼女が不思議に思うのも当たり前だろう。
具材は鶏肉、砂ずり、豚肉、白菜、ねぎと。普通の水炊きと大差ないが、何せそれを上から塩胡椒を掛けて食べるとは、上京して来てこそ今思えば変わった食べ方だ。
首を傾げてまじまじと見る彼女に私は苦笑いを浮かべた。
「その上これ、日本酒が入ってるのよね?」
「そうよ。水は入れずに日本酒で食べる、私の故郷広島の郷土料理」
歌織ちゃんと仕事終わりに何を食べようと模索していたところ、暫く向こうに帰っておらず、久しぶりにふと何か故郷のものを食べたいと思った。
そこで閃いたのは、酒蔵が多くお酒でも有名な広島で、そこで働く方の利き酒に差し支えない様に考えられた鍋料理、『美酒鍋』。
少しのお酒を入れ、好きな具材を入れ、あっさりと食べれられる様に軽く塩胡椒を振って食べる郷土料理である。
東京育ちの歌織ちゃんには初耳であった様で、最初に説明した時と同じ様に、未だに不思議そうに此方を見ていて。
「まぁまぁ食べてみなさいって。こうして、塩胡椒を振って……んー!美味しい」
お手本に軽く振った白菜を摘み一口。
口に広がる野菜の甘さと日本酒と塩胡椒の締まった味わいが口の中に広がり、思わず頬に手を当てる。
すると私の反応に感興した彼女は「じゃあ、私も……」と一言呟き、一度箸で豆腐を細く一口サイズに切り、その一口を口の中に入れた。
「お、美味しい…!莉緒ちゃんの言う通りあっさりしてて。塩胡椒も良いアクセントね」
「でしょでしょー?他にもあなご竹輪とか鯛竹輪とか入ってるから食べて食べて」
本来なら食べ合わせを考え、決まったような具材を入れた方が良いと思われるだろうが、此処は料亭でも何でも無く自分の家。
自己流に好きなものを入れて味を損なわなければいい。それが家鍋。
初めて食べる味に目を輝かせて喜ぶ彼女に、自分が褒められた様で嬉しい気分。
空になった彼女の器を受け取り、おすすめの具材を掬って渡す。
同じ様に空になった自分の器にも入れて時折熱さに、はふはふと言いながら舌鼓を打った。
(続きは本編でお楽しみください)
もっと!おいしい暮らし
サンプル(まーゆ / 2作目)
page:51~52
(本編内:51~61ページ)