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火鉢麺と野菜

「お好み焼き事変」

​眞白ひろ

「ちょっと! 如何に歌織ちゃんと言えども今の発言は聞き捨てならないわよ!」
 ある日の午後、劇場の控え室に良く通る大きな声が響き渡った。
 発したのは百瀬莉緒。765プロライブ劇場が誇るセクシーアイドルである。
 そんな彼女と相対するのは桜守歌織。同じく765プロが擁する歌姫の一人である。
 一見まるでタイプの違う様に見えるが、同い年ということもあり普段は公私共に仲睦まじい二人だが、この時ばかりはまるで一触即発と言った張り詰めた空気をその間に漂わせていた。

 果たし合いに臨む武芸者の如き緊張。一拍ののち、莉緒は大きく息を吸い、高らかに宣言したのである。


「『広島焼き』なんて呼び方、お天道様が許してもこの百瀬莉緒が許さないんだからねっ‼︎」

 

 世に言う。
 『広島県民に対し、野球とお好み焼きの話題は気を付けろ』と。

 

   ♪

 

「というわけで歌織ちゃんには本物の『お好み焼き』を体験して貰うわ!」
 ガヤガヤと温かな人々の声が間仕切りの向こうから流れてくる、和風の装いの店内。油を引いた鉄板が作る陽炎の向こうから莉緒ちゃんが私に向かってそう宣言した。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
「ふふっ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
 さっきまでの剣幕が嘘のように柔らかい微笑みを向けられる。からからと朗らかに笑う彼女はもう既に私のよく知るいつもの莉緒ちゃんだった。
「でも、ごめんなさい莉緒ちゃん。まさか莉緒ちゃんがそんなにお好み焼きに拘りがあったなんて知らなかったから……」
 汗をかいたお冷のグラスの表面を指でなぞりつつ呟く。
「やだ、そんな拘りとかじゃないわよ。……でもやっぱり昔からよく食べてたし、なんていうのかしらね。自分の一部、みたいな感じかな」
「そんなものなの?」
「そんなものなの。……あ、すいませーん! 注文お願いします。そば肉玉二つと、あと生ジョッキとハイボール一つずつ!」
 彼女が手慣れた様子で店員にオーダーを頼む。因みに一杯目に莉緒ちゃんがビール、私がハイボールは二人で呑みに行った時のお決まりのオーダーだ。

「莉緒ちゃんは、このお店にはよく来るの?」
「偶にね。どうしても故郷の味が恋しくなることがあったりした時とか」
 言葉とは裏腹にからりと爽やかに笑ってみせるその姿からは、ホームシックのようなものは感じられない。
 ……もっとも、未だに親と暮らしている私に単身で別の土地まで来て一人で暮らしている彼女の気持ちが真に理解出来るのかと言われれば、難しい話なのだけれど。
 そんな考えを振り払おうと、日本家屋のような独特な雰囲気の店内をキョロキョロ眺めていると向かいの莉緒ちゃんがくすくすと笑った。
「珍しい?」
「え、ええ……こういう雰囲気のお店ってあまり来ることがなかったから。こんなに活気があるのね」
「みんなで鉄板囲んでワイワイするのも目的の一つみたいなものだもの。お鍋とか焼肉屋さんとか一緒よ」
 確かに、流れてくる声に耳を傾ければ家族連れなども多く、みんな楽しそうだ。劇場での打ち上げとか、大勢でご飯を食べるのは本当に楽しいから、私にもそれは良くわかった。
 ……今日は風花ちゃんもこのみさんも麗花ちゃんも千鶴ちゃんも予定が折り合わず、莉緒ちゃんと二人きりなのだけれど。
 そうこうしてるうちに店員さんがオーダーしていたものを持ってきてくれた。
 どろりとしたホットケーキの素に良く似たタネ、薄く切った赤いお肉、そして白くのっぺりとした麺。
 ごゆっくり、との言葉に会釈して飲み物を受け取ると、莉緒ちゃんが腕まくりをした。
「さあ、焼くわよ〜!」
 上機嫌そうな彼女の笑顔を見て考えを改める。
 二人きりでも、私たちは十分楽しい。

 (続きは本編でお楽しみください)

もっと!おいしい暮らし

サンプル(眞白ひろ)

page:63~65

(本編内:63~73ページ)

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